朝起きてから、夜寝るまでの間にあなたは何回選択をしているかご存じでしょうか?
TEDでのシーナ・アイエンガー( Sheena Iyengar )さんのプレゼンテーションによれば、1日平均70もの決断をしているとのことです。
TEDよりコロンビア大学教授のシーナ・アイエンガー氏 「選択をしやすくするためには」
また、無意識に行っているものまで含めると諸説あるようですが、別の研究では約9,000回もの選択を行っているとさえ言われます。
そんなに多くのことを決めているなんて驚きですが、朝起きて何を着ようか、何を食べようか、パンにつけるジャムは何にしようか、今日は仕事に行くのか(やっぱり行くんだよね…)、なんてことを考えていたら確かに9,000回なんてあっという間かもしれませんね。
あなたはどんな基準で物事を決めていますか?
世間にはいろんな判断基準があふれていますが、最後は自分で判断しようよ!というお話です。
目 次
考えて決断することはなかなかしんどい
一般的には選択肢は多いほど良いと思われていますが、シーナ・アイエンガーさんのプレゼンテーションによると3つの思い込みがあると紹介されていました。
- 選択する権利は自分自身で持つべきだ
- 選択肢は多いほどよい
- 選択を放棄することはすべきではない
これらの思い込みは「なるほどそのとおり」という内容ばかりですね。
しかし、実際には選択肢が多くなればなるほど、決断が適当になったり決断することを放棄してしまうことが多くなってしまうのです。
いわゆる「決断疲れ」と呼ばれるものです。選択肢が多かったり、決断するために多くの労力が必要になると適当に判断したり判断を放棄してしまうことになります。
就職活動において最終就職先を選択する時やマリッジブルーなどもこの「決断疲れ」があると言われています。
就職先の選択の場合は、つらい就職活動を終えてたまたま出た内定に飛びついてしまう。そして、本当にその選択でよかったのかと悩んでしまい、その悩みが続くと5月病や6月病になってしまうこともあります。
マリッジブルーも同様に、とにかく「結婚」をしたくて結婚を決めたものの、本当にこの人と結婚してよいのだろうかと思い悩んでしまう。
選択肢が多くて全てを確認することができない場合には、人生において重要な決断でさえも「えいやっ」と決断していることが多いですね。
それ全てあなたが決めなくてはいけないことですか?
いつも「忙しい、忙しい」が口癖のあなた!その全てのことは、あなたが決めてあげないといけないことなのでしょうか?
子供が選ぶこと、部下が選ぶことを奪い取って、自分のタスクに詰め込んでいる結果として、忙しい状況になっていないでしょうか?
「だって子供たちの代わりに、私が(僕が)決めてあげないといつまでたっても決まらない」
「私(僕)のほうが、部下よりも最適な判断をすることが出来る」
そう言って他人の決断の機会を奪っている限り、あなたの忙しさが減ることはないでしょう。
子供や部下のためと言いつつも、他人に干渉しながらいつまでも支配をしようと試みているのです。
手離れして楽になろうと思うよりも、忙しいと愚痴をこぼしつつも他人の決断の機会を取り上げて支配することを人は選びがちなのです。
本来であれば、あなたがしなくてもよい判断を余分に背負って生きているのですね。
先延ばしの心理とは
物事の決断を語る時に「先延ばし」を避けることはできませんね。
何事もスパッと決められて後でウジウジと悩まない、なかなかそう出来る人はいませんし、そんな決断力のある人はとてもうらやましいです。
なぜ、先延ばしをしてしまうのでしょうか?
それは、選択肢を失いたくないからです。先に述べた3つの思い込みの中にも「選択肢は多いほうがよい」とあったように、私たちは選択肢が多いことの魅力にとりつかれているのです。
もし、決断した先に失敗があった時はその選択肢を失ってしまいます。選択肢がゼロになることなど、考えたくもないでしょう。
選択できなくて前に進めない状況でも、その選択肢を失うよりはマシという心理が働いているからなんですね。
もちろん早く決断して、仮にダメな場合には新たな選択肢を見つけることが何倍も賢いことを知っていながら、なかなかできないのが現実だったりします。
自分で決めたほうがいい事と決めないほうが良いもの
すべてのことを自分で決める必要はあるのでしょうか?
すべてを吟味して決定することは、結局は「決断疲れ」となってしまいます。念入りな判断をするつもりが、いつのまにか適当な判断になってしまいませんか?
「決断疲れ」から逃れるために
- ルールで決める
- 自分の信用する人や情報に乗っかる
ということを増やすのはどうでしょうか?
ルールを決めて従うなら、例えば傘を持っていくか迷ったときは、降水確率が50%以上なら持っていくことにする、とか。
あのアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは、着る服で迷わなくてもよいように同じ服ばかり持っていたと言われています。こうして、あらかじめルールで何をするのかを決めておけば選択するという場面が減っていきますね。
あまり大した内容でなければ、いっそゲーム感覚でサイコロを振って決めるというルールもありかもしれませんね。
そしてもう一つ、自分が最終判断を下さない様に、代わりに判断してくれる人やサービスを決めておけば判断する場面も減っていきますね。
ただし、事前に信用する人たちを見つけておかなくてはいけません。他人に乗っかることについては次に詳しく述べたいと思います。
人任せにしてしまうの、怖くないですか?
すべてを人任せにするのはとてもこわいですね。
でも、この情報社会の現代で自分だけの力で選択していることはそれほど多くはありません。
何かを選択するときに行った情報収集のすべては、あなたが一つ一つ調べたものですか?
何かを買う時に、選択肢の全てを確認してから決断しましたか?
テレビの番組もネットニュースも誰かの評価もいいねの数も、全て他人の意見です。
何も参考にしないでモノやサービスを買ったとしても、そのモノやサービス自体が誰かが「いい」と思って作ったものなので、他人の意見に賛同していることにもなりますよね。
よって完全に自分の意見だけで選択を行うことって、なかなかないですね。
どこかで人の意見を参考にしちゃっている、このことを意識することはとても大事だと思います。
だから、うまくいかなかったとしても他人のせいにしてもよいということではないですよね。
最後は責任をもって自分の判断で
他人の判断があふれている中で、自分の判断を行うことは可能なのでしょうか?
もちろん可能ですよね、最後の判断を放棄したり、他人任せにしないことです。
途中でいろんな人の意見を聞いたり、何かの情報を参考にしたとしても、最後の判断は自分で責任をもって行うことです。最後の判断を他人に委ねる時でも、その他人の判断に対しても責任を負うべきは自分です。
仮にうまくいかなかったとしても「あいつの言うとおりにしたのに失敗した・・・」「あのネットの書き込みは嘘ばっかりだ、それを信じたばかりに・・・」と思うことは、自分で責任を取ったことにはなりません。
他人の責任:「あいつの言うとおりにしたのに」
↓
自分の責任:「あいつを信じて判断した自分が間違っていた、次は・・・」
他人の責任:「あのネットの書き込みは嘘ばっかりだ、」
↓
自分の責任:「ネットの記事を妄信してしまった、もっと調査をすべきだった・・・」
他人や他の情報のせいにせずに、それを信じた自分に今後の改善の余地はないかを問いかけてみるべきです。
どんなに物事に精通したプロ中のプロでも間違うことはあります。
最終判断は自分が責任を持つ、このことを忘れなければ、物事に精通した人やいろんな情報を積極的に活用していくべきだと思います。
まとめ
非常に多くの判断をしなくてはいけない毎日の中で、どのように判断し決断を下しているかを問いかけてみました。
- われわれは「決断疲れ」で疲労困憊している
- 忙しくならないために「他人の決断」を手放そう
- 「決断疲れ」を回避するために決断のルールの採用や信用できる人の意見を参考にしよう
- 最後の決断の責任は自分で取ろう
すすめべき道に迷ったときは、とりあえずやってみる、つらそうな道を選ぶ、こういうルールで動いている成功者は多いですよ。
では、僕も!