「馬を水辺に連れて行けても、水を飲ませることはできない」
You can take a horse to the water, but you can't make him drink.
英語のことわざですが、(良かれと思っても)他人に強制して何かをさせることはできない。
ひいては、馬(その人)自身が自らの意思で水を飲むように「やる気」を導いてやらなくてはならない。
そのような意味で使われることが多いと思います
相手の意思を尊重してますか
馬の例え話は、まさに「相手の意思を尊重する」ということに他なりません。
いくら相手のためを思って、その人の意思を無視して「あれがいい」「これしなさい」といっても、なかなかその人は動いてくれないでしょう。
馬は水を飲むのを拒むだけですが、あなたの大切な人は、水を飲むふりをして心では舌を出しているかもしれません。
それでは、良かれと思うあなたの気持ちも、ただの自己満足に過ぎなくなってしまいます。
そして、あなたの大切な人はあなたに感謝をするどころか、心の距離をとおざけてしまうでしょう。
“子供のため”を思って、「ちゃんと片付けなさい!」「勉強をしなさい」なんて言っていませんか?
“部下のため”を思って、「この案件はこう裁け」「資料はこう作るほうが良い」なんて言っていませんか?
いくら言い方がソフトでも、頭ごなしの内容ではその人の心には届いていないでしょう。
結局、それって誰のため?
水を飲むことを拒否されたあなたは、「あなたのためを思って言っているのに・・・」と落胆し、時には憤りを覚えるでしょう。
しかし、本当に「その人」のための助言だったのでしょうか?
僕自身のことを思い返すと、必死に言って、言われたとおりにやってくれなくて憤りを覚えている時ほど、その人のためもそうですが、それ以上に自分のために言っていたように思います。
子供に対して
「ちゃんと片付けなさい!」→ 散らかっているのを片付けるのは「わたし」
「何で勉強しないの?」→ 勉強しないとあなたの将来が心配で、将来まで面倒は見られない
部下に対して
「この案件はこう裁け」→ この件はオレのほうが知っている、言われたとおりにやってくれれば面倒が少ない
「資料はこう作るほうが良い」→ お前が作ったのを見ても、また作り直させるにきまっているのだから、言うとおりに作れば時間短縮だ!
どうでしょうか?心当たりはありましたか?
では、どうすればよいの?
言わないとやらないしね・・・
で、どうすればいいのよ、ってなりますね。
頭ごなしに言ってやらせても、同じことを毎回言っていませんか?
時間がかからないようにと口出しをしているのに、トータルの時間は結局長くなってないか?ってことはありませんか?
言われたほうは、最大限の抵抗をして時間稼ぎをしているのです。
そう「水を飲むふり」をしているのです。
では、どうしていけばよいのでしょうか?
必要なのは次の2点ではないでしょうか?
- なぜ、それをやることが必要なのかを納得できるよう話し合う
- いつでもサポートができることを伝えて見守る